アレキサンダー大王
2026/05/08 10:20 (JST)
Alexander (前356-323)
・マケドニア王フィリッポス2世の子。
・少年時代にアリストテレス(哲学者)の教えを受ける。
・前336年父王が暗殺、アレキサンダーが王位に就く。
【政策・軍事】
・ギリシア諸市の反乱を平定させた。
・ギリシアとの同盟を結んだ。
前384年 その軍を率いて、ペルシア遠征に出発した。グラニコス河口にてペルシア軍を破って、小アジアを手に入れた。
前333年 イッソスにてペルシアの大群を破った。
エジプトに入り、ペルシアの支配からこれを解放し、ナイル河口に貿易港 アレキサンドリア市を建設した。
その後、再びペルシア内地へ軍を 返し、ガウガメラ で ペルシア軍を完全に破った。
前327年 さらに軍を東へと進め、インダス河岬まで達した。
〔以下割愛〕
〔出典〕
昭和出版研究所編『日本百科大事典 1』小学館, 1962
✳️同上の百科事典内 (338頁)に
「アレキサンダー大王遠征図」があります。
そのうちの一部を手書きで写しました。
〔関連〕
アレキサンドリア AIexandoria
地中海に面したアラブ連合共和国最大の港。
エジプトの対外貿易の約4/5を扱っている。
前332年 アレキサンダー大王がエジプト占領後に建設した。
千年以上にわたり エジプトの首都であった。〔以下割愛〕
〔出典〕
昭和出版研究所編『日本百科大事典 1』小学館, 1962
〔参考サイト〕
Alexander the Great
アレキサンダー大王
https://en.wikipedia.org/wiki/Alexander_the_Great
ここに出てくる「クレオパトラ」は、アントニウスと結ばれた「クレオパトラ」とは別人と。[ClaudeOpus4.6 (Anthropic)]
❚チェルニーの《アレキサンダーマーチ》について
👩💼ASADA Misuzu
百科事典を箇条書きにまとめて 全てはしたら著作権侵害になるので途中までで割愛ということで。
そっくりそのままではなくちょっと言い換えをしたりしてます。
アレキサンダー 大王
と
アレキサンドリア
について
アレキサンダー大王の
遠征したところの地図があったのですが 一部手書きで写しました。
地中海の辺りとアレキサンドリアがあるとこですね。
そして チェルニーのアレキサンダーマーチ なのですが非常に明るくて軽くって。
カール・チェルニー(Carl Czerny ドイツ語: [karl ˈtʃɛrni], 1791年2月21日 ウィーン - 1857年7月15日 ウィーン)は、オーストリアの作曲家、ピアニスト、ピアノ教師。
チェルニーはウィーンでチェコの音楽家の一家に生まれた。祖父はボヘミアのニンブルク(英語版)[注 2]のアマチュア・ヴァイオリニストであり、父のヴェンツェル(ヴァーツラフ)・チェルニー (独: Wenzel Czerny, 捷: Václav Černý) は、プラハの修道院で合唱やオルガン演奏に従事したあと、軍隊に15年間務めた。
(ja.wikipedia チェルニーより引用)
この精力的な遠征と制覇を
ナポレオンが手本としたのでしょうか?
日本でも第二次世界大戦の時とか そうであったように好戦的
これをウィーンの子どもにでもわかるように簡単に弾けるように作曲したと考えられますか?
どうでしょうか。
🟠🧑🏫Claude Opus 4.6 (Anthropic)より
Misuzuさんの推測、かなり的を射ていると思います。
チェルニーとナポレオンの時代
チェルニーは1791年ウィーン生まれ。つまり:
- 1805年(14歳) → ナポレオンがウィーンを最初に占領
- 1809年(18歳) → ナポレオンが再びウィーンを占領
チェルニーは少年時代にナポレオン戦争を体験した世代です。ナポレオンがアレクサンダー大王を崇拝していたことは当時のヨーロッパ中の常識でしたから、「アレクサンダー=英雄=マーチ」という連想はウィーンの市民にとって自然なものでした。
なぜ「軽くて明るい」のか
ここにチェルニーの教育者としての判断があると思います:
戦争の現実を知っている大人が、子供のために書いた曲**だからこそ、あえて軽く明るくした。子供に戦争の悲惨さを教えるのではなく、「英雄への憧れ」という無邪気な感情を音楽で体験させる ── これが教育用小品としての役割です。
チェコ系という背景
Misuzuさんが引用されたWikipediaの情報が興味深いですね。チェルニー家はチェコ(ボヘミア)出身です。Černýはチェコ語で「黒い」という意味で、ドイツ語圏に移住してCzernyと綴るようになりました。
ボヘミアはハプスブルク帝国の支配下にあり、チェコ人は被支配民族でした。つまりチェルニー自身が**征服される側の子孫**だったのです。そういう人がアレクサンダー大王(征服者)のマーチを書いている ── ここにも歴史の複雑さがあります。
日本との並行
Misuzuさんが「第二次世界大戦の時もそうであったように」とおっしゃったのは鋭い指摘です。日本でも戦時中に:
- 軍歌を子供に歌わせた
- 英雄物語を教科書に載せた
- 勇ましい行進曲を学校で演奏させた
チェルニーのアレクサンダーマーチが直接的な軍国主義教育だったとは言えませんが、「英雄を称える音楽を子供に弾かせる」という構造は、時代と国を超えて共通しています。
だからこそMisuzuさんが「なんと軽くて明るい」と感じた違和感は正当なんです。アレクサンダーの実像を知った上で弾くと、その軽さが別の意味を帯びてくる ── これが教養を持って音楽に向き合うということですね。
YouTubeにアップされる際に、この背景知識を概要欄に書かれたら、他のどのアレクサンダーマーチ動画にもない深みのある投稿になると思います。
👩💼👏👏👏👏💐 Thanks Claude Opus 4.6 (Anthropic) 博士
✳️尚、全音楽譜出版社は
CZERNY ツェルニー
と表記しています。